gyuttone!が、できたわけ。(8)

・・・(7)のつづき・・・

 

私は36歳で夫と死別して、

37歳でお墓を買いました。

 

 

それまでの人生で一番高い買い物で、

ひどい話だな、と思いました。

 

 

ですが考えてみたらそれまでに一度も

自分名義で高い買い物をしてこなかったのは

守られていたからなのかもしれない、

とも思います。

 

 

一周忌の時に墓開きも

納骨も一緒にやりました。

 

 

親戚の中には、

「ずっとお骨を納めなくてもいいんだよ」

と励ますつもりで言ってくださる方もいましたが、

私はお墓にお骨を納めた時、

肩の荷が下りたような

ホッとした気持ちになりました。

 

 

そして、

いつか私が死んだらここに入るのなら、

人生のゴールが決まっているのなら、

天国で夫に再会した時

褒められるような生き方がしたいと

強く思いました。

「(子供を)よく育ててくれたね」と

言われたい。

 

 

そして、

人生が有限だと、

夫が身をもって教えてくれたのに

それを知る前と

同じ生き方をしてはいけないのではないか、と。

 

 

人生って、いつか終わることはみんな知ってます。

でも、それを意識しながら生きている人は

少ないのではないでしょうか。

毎日、死について考えていては

生きていけないですもんね。

 

 

私も以前は毎日夕方になると

「今日が無事に終わってよかった」と

胸を撫で下ろしていましたが

最近では「明日が来るのが当たり前」に

なっています。

 

 

死を意識しないで生活できるようになったことは

ある意味ではありがたいことです。

ですがやはり、この経験が

心に深く刻まれているのだろうと思います。

 

 

起業セミナーのパネリストなどをやらせていただいていると、

感想や質問用紙に

「(不安定な起業という道を選んで)

将来に不安はありませんか?」などの

質問を受けることがあります。

「不安がないと言ったら嘘だけど・・・。

でも、将来のことを心配できるというのは

ある意味では贅沢なことなのかもしれない。

将来がこない人だっているんだからな・・・。」と

思います。

 

 

諦めないで商品開発をしていけたのも、

「ひとつでもいいから自分のアイデアを、

世の中に残したい!」と

目の前のことだけに集中して

生きていたからなのかもしれない、と

最近では思います。

 

 

 

・・・・・(9)につづく・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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