事故の日ー4ー

病室に通されるとき、部屋の入り口に

夫のバイク用のバックが

置いてあった。

前面にあるクリアシートのポケットに

夫の免許証が入っていて、

それが妙にリアルに迫って来た。

なんか距離感がおかしくて、

ズームでスローモーションを見ているみたいだった。

 

 

夫が死んだと言われても

全く現実感がないのに、

免許証が銀色のワゴンに乗せられているということが

妙にリアルで生々しかった。

 

 

これで身元確認をしたんだ。

物で身元確認をしなくちゃいけないということは、

本人が喋れない、ということ。

物の方がよりハッキリと

現実に起こったことを連想させて

強く雄弁だった。

 

 

免許証と財布。

昨日私が、お金入れたんだった。

事務所の備品を買うのに

おととい5万円入れて、

「買わなかったから」と言われたので

もう一度5万円抜いたんだ。

あんまりたくさん入れておくと

使っちゃうからいつも

1万円くらいしか入ってなかった。

いつもお小遣い制の、

見慣れた財布。

 

 

銀色の、ワゴン。

これは普通、看護師さんたちが

脱脂綿とか注射器とか乗せるやつ。

こういうバック置く所じゃない。

置いたらいつもは、怒られる。

 

 

引き戸を開けて、カーテンを通る。

何もない病室。

こんな病室、初めて見た。

私の胸くらいの高さのベッド。

なんでこんなに高いんだろう。

夫が寝てる。

まだ温かかったけど、目が見開いていて、

マダムタッソーの蝋人形なんじゃないかと思った。

死んでるわけない。

これは夫じゃない。

どこかにいるはず。

誰かがすり替えたんだ。

 

 

意味のわからない断片的な思考。

泣いちゃいけない。

泣いたら事実と認めることになる。

この先ずっと私は、

「泣いたら事実と認めることになるから泣かない」

という考えにすがっていくことになる。

 

 

「泣かなければ事実にならない」という

意味不明な防波堤を打ち破られるのには

半年ほどかかった。

要するにこの瞬間から、

夫の死を私が理解するのに、

半年かかったのだ。

 

 

 

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喪失体験をした人たちと繋がりたくて書いています。

何故ならば自分自身が、立ち直りたくてもがいていた時

#死別 #30代 #シングルマザー

というキーワードで検索しまくっていたからです。

 

自分の体験談が、必要な人に届いて励ますことができたら。

そう思います。

 

2018年 kanadel大門みづき

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事故の日ー3ー

病院の駐車場について

受付で聞いて、

該当するであろう病棟に走ってく。

大学病院の広いこと。

何がどこにあるかわからない。

私は子供を母に預けて、

とにかく入り組んだ病棟内を全速力で走った。

 

 

外科病棟と聞いて来たのに、

ICUの看護師さんに

「ここにはいません」と

言われたとき、

「あ、助かったかも」と思った。

 

 

「ごめんごめん」と言いながら、

包帯だらけで車椅子に乗ってくる

夫の姿が浮かんで、

一瞬「大丈夫かもしれない」と思った。

 

 

「ここにいなければ向かいです」と言われた

そのエリアの自動ドアが開いたとき、

そんな妄想は一瞬で終わった。

 

 

なんていう名前の場所だったか忘れた。

ナースステーションで名前を言った後、

病室ではなくて小部屋に通された。

 

 

これは何を意味するのか、

必死で考えていたような気もする。

座っているのが辛くて、

崩れ落ちそうにして机に突っ伏すようにして

やっとの思いで椅子の上にいた。

 

 

すごく長い時間待たされたような気もするが、

実際にはほんの数分だったのかもしれない。

お医者さんが来て、

ドクターヘリの医者だと言った。

 

 

「結論から申し上げますと、

旦那さんはもう亡くなっています」

 

 

レントゲン写真を見せられて

いろんな説明をされた。

体のどこが怪我をしているとか、

内臓がどうとか

足のどこが折れているとか。

ボロボロじゃないかと

笑いが出そうだった。

嘘にもほどがある。

 

 

 

脳みその写真だけ覚えている。

見たことのない写真だった。

普通脳みその写真って

シワシワがいっぱいあるものだけど

それは、真っ白だったのだ。

輪郭だけ残して、

中が真っ白。

 

 

死因は、脳挫傷。

 

 

そうだよね。

こんなに真っ白じゃ

脳はものすごく大きなダメージを

受けたんだってことが

素人だってわかる。

 

 

人って恐怖が限界になると

笑い出しそうになるのか、

絶対嘘でしょって笑い飛ばしたかったのに、

目の前のお医者さんが

全然そういうのを許してくれる雰囲気じゃなかったから

ものすごく腹が立って来たのを覚えている。

まるで、

このお医者さんが笑わないから

事実が決定づけられるみたいな。

プレッシャーをはねのけたくてもがいてるっていうか、

ほんとだって言うんなら見せてみろよって言う感じの

反逆的な気持ちになっていた。

 

 

涙が出るような、余裕もなかった。

 

 

 

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何故ならば自分自身が、立ち直りたくてもがいていた時

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2018年 kanadel大門みづき

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事故の日ー2ー

「ここに

ダイモンヒデユキさんという方は

いらっしゃいますか」

「はい、夫ですが」

「事故に遭われたようなので、

ここに電話していただけませんか」

「は?」

 

 

渡された紙切れに、

鹿沼警察の電話番号が書かれてあった。

 

 

原付の警察官は、のんびりした雰囲気で

何か特に緊急性がある感じもしなかった。

でもとりあえず、

骨折でもしたのかもしれないと思って

電話をしてみた。

うちには家電が無かったので、

免許証の住所から

わざわざ久喜駅の警察署から

家まで知らせに来てくれたんだと思った。

 

 

鹿沼警察署に繋がると

「ご主人が重篤です。

急いで来てください」という緊迫した声。

電話の相手の動揺が伝わって来て

ただ事ではないことが一瞬でわかった。

 

 

「夫が重篤ってどういうことですか!?」

「とにかく急いで、気をつけて来てください」

 

 

これはダメなやつだ。

冗談とか、大げさに言ってるとかじゃない。

本当に大変なことが起きたんだと直感し

電話を切るや否や母に

「鹿沼に行く」ということを告げた。

 

 

母は電話口の声を聞いていないので

のんびりした様子で

私が血相を変えて支度をし始めても

「なんで?どこに行くの?」みたいな

感じだった。

なんと言ったのか忘れたけど、

何かのやりとりがあって

「とにかく早くして!」と

叫んだ気がする。

 

 

 

鹿沼まで、車で東北道を飛ばした。

運転している最中に、

二度と目を開けない夫の顔が

瞼に浮かんで

「絶対そんなことない」

「大丈夫だから」と

何度も自分に言い聞かせて、

子供を乗せてるんだから

とにかく安全運転で行かなきゃ、

冷静でいなきゃと何回も思った。

 

 

何故か突然、

喉をキリで刺されたような痛みが走って

息がしにくい。

母に、アメを持っていないか

聞いた気がする。

 

 

鹿沼についてインターチェンジを降りた時点で母が

「警察に電話しよう」と言った。

家を出るときはまだ、

受け入れ先の病院が決まっていなかったので

とりあえず鹿沼警察を目指して来てください

ということだったのだ。

 

 

もう病院が決まっているのではないか。

鹿沼警察に行っても

秀行さんはいないんじゃない?というのが

母の言い分だったのだが、

私は電話をするのが怖くて仕方なかった。

「電話したくない。

もし、もうダメでしたって言われたら

どうするの?」と

もっとも恐れていることを

やっとの思いで口にしたら

母が代わりに電話してあげると言ってくれた。

 

 

私は、先ほどの警察の人たちの

動揺ぶりを感じて、

相当まずいことになっていると

感じ取っていたのだが、

母は聞いていなかったので

何故そこまで私が悪いように考えているのか

わからなかったのかもしれない。

 

 

電話をしたらやはり、

病院に搬送されていたので

少し戻る感じで道を検索し直して

向かったんだと思う。

 

 

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事故の日ー1ー

2014年の5月31日は土曜日で

よく晴れたとても気持ちのいい日だった。

 

 

私は仕事の足しになるようにと

パソコン教室に行っていたので

朝の9時半ごろ母が

息子のお守りをしに来てくれていた。

 

 

昨年生まれたばかりの息子は

もうすぐ1歳になるという時で、

初めてのお誕生日プレゼントを何にしようかと

悩んでいたのを覚えている。

 

 

夫は会社を作りたいと言って

この年の2月頃に事務所を借りていた。

スケルトン渡しだったのでエアコンがない。

これから暑くなると仕事ができないので

電気屋さんに見積もりをしてもらう日だった。

 

 

お昼は家で食べるから、と言って

確か8時ごろ出て行ったのだが、

後から考えるとその日だけ、

「行ってらっしゃい、気をつけてね」を

言えなかった。

夫はバイクで出て行ったのだが

私が子供の世話をしている間に

あまりエンジンの音もさせずに

すっと行ってしまったのだ。

 

 

私は12時ごろパソコン教室を出て、

「今年の夏も、暑そうだなあ、、、。

そうちゃんの海デビューが楽しみ!」と

くっきりと浮かぶ雲をワクワクした気持ちで

眺めた。

私は初夏が、とても好きだった。

 

 

家に帰ったら母がお昼ご飯に

サンドウィッチを用意していてくれ、

息子もいい子にして待っていてくれた。

夫は帰って来ていなかったけど、

先に食べてお昼寝でもして待っていれば

そのうち帰ってくるだろうと思っていた。

気持ちのいい風が入ってくるリビングで、

息子と一緒にうとうとしていた時だった。

 

 

玄関アプローチに、誰かが入ってくる。

白い原付に乗った警察官だった。

母は「お母さんの車が路駐してるからかな」と言ったが、

「なんで?大丈夫だよ私道じゃん」と言って

チャイムがなる前に私は玄関に向かった。

 

 

 

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そう思います。

 

2018年 kanadel大門みづき

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死別経験をされた方へ

5月31日

今日は、夫の命日です。

 

 

今日から少しずつ、

夫の死後、何が起きたか

書いていきたいと思います。

 

 

なぜかというと、

私自身が誰にも相談できず

苦しくて

何度も何度も

「死別  30代  シングルマザー」で

検索しまくっていたからです。

 

 

立ち直りたい。

でも、どうやって這い上がっていけばいいのか

わからない。

周りに相談できる人がいない。

そうしたらみなさん、

ググりますよね。

 

 

でも、出てきた結果は

とてもネガティブな内容ばかり。

「夫の後を追いたい」とか

「死んだ旦那さんに会いたい」とか。

 

 

もちろん私も会いたいです。

無意識のうちに、

子供を抱っこしたまま

トラックに飛び込みそうになったこともあります。

 

 

でも、子供を残して

自ら死にたいなんて

思えない。

 

 

お墓に納骨した時、

人生のゴールのその先に

夫が待っててくれるなら、

息子をちゃんと育てたい。

死んだ後に

「よく頑張ったね」って

言われる生き方がしたい。

そう思いました。

 

 

そうやって踏ん張ってきました。

でも、

4年前の自分みたいに

どうやって立ち直ったらいいのか

わからない人に届けたい。

検索しまくっている人に、

同じだよって言いたい。

 

 

そう思って、

やっぱり書こうと思いました。

 

 

人が亡くなった後の

現実が露骨に表現される部分もあると思うので

嫌だと思う人は

読まないでください。

 

 

精神的に耐えられない時もあるかもしれないので

不定期です。

 

 

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kanadelは、世界中の子供達が幸せな子供時代を過ごせる世の中を目指します。

そのために、働くお母さんを全力でサポートする商品・サービスを提供いたします。

 

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2018年 大門みづき

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ものつくりで起業したい方へ。〜gyuttone!が、できたわけ。(13)〜

・・・(12)からのつづき・・・

 

前回、よろず支援拠点の担当アドバイザー

小川さんに出会ったところで終わっていましたが、

私は今でも小川さんに出会った日のカレンダーを

大事にとってあります。

 

 

2015年11月27日

この時はまだ、スケジュール帳も持ってなくて、

予定は壁掛けのカレンダーに書いていました(笑)

 

 

年が明けて、カレンダーを変えようとした時、

なぜかすっと捨てられなくて、

おまけに「だっこひも相談①」とまで

書き加えて、本棚にしまいました。

 

 

なぜ、こんなにも大事に思っているかというと、

最初の日に

「なぜこの抱っこ紐を作ろうと思ったんですか?」

と聞かれて、

仕方なく夫の話をしたら、

初対面なのに心から泣いてくれたからです。

 

 

私は、夫が亡くなってから様々な面で

「夫が亡くなりまして」と

言わなければならない場面に遭遇しました。

 

 

それは、

役所の窓口で

子供の健康保険を夫の扶養から外して

作り直す時だったり、

遺族年金の申請だったり、

夫の銀行口座を解約する時だったり、

事務的な手続きが山のようにあったからです。

 

 

その度に、様々な対応を受け、

無用な傷を背負うことも

少なくありませんでした。

 

 

心ないのに、

表面だけ言葉を正す人もいれば、

全く無関心な人もいるし、

それは、特に慰めを求められるような

人間関係ではなかったので

流すしかありませんが、

ごくたまに、本当に暖かい心を

寄せてくれる人もいました。

 

 

そういう人の一人が、小川さんだったのです、

人間て、自分が弱っている時には

とても敏感になっているので

人の真価が見えてしまうものなのですね。

 

 

この時小川さんが目を真っ赤にして

私の話を聞いてくれなかったら、

gyuttone!を世に出すことは

できなかったと思います。

 

 

今は「クラフトバブル」と言われるくらい

「趣味のものつくりで副業を!」という人が

多いと思います。

でも、全てを一人でこなしていける

仕事はありませんよね。

 

 

私は特に、工場に依頼して

生産しなくてはいけない類の商品だったので

この出会いは本当に大きかったです。

 

 

次回は、どうやって試作していったか、

工場を見つけるまでを書いていきます。

 

 

ものつくりで起業したいと思っている人の

お役に立てれば幸いです。

 

 

自己実現のための

最初の一歩をお手伝いできればと思います。

 

 

本日もお読みいただき、

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

gyuttone !が、できたわけ。(11)

・・・(10)からのつづき・・・

 

上野動物園から帰ってきた日の夜、

どんな抱っこ紐なら使いやすいのか

考えてみました。

 

●さっと出せて

●寝ている子供を起こさずに装着できて

●当然コンパクトで

●丈夫

 

 

条件を出せばキリがありません。

でも、自分が使いやすいものが欲しいのだし、

自分で作るんだから遠慮はいりません。

 

 

イラストに描いて

図面を起こし、

最初は紙で模型を作りました。

それから100均の材料で

実際に作ってみて

自分の子供で試してみる。

その繰り返しが始まりました。

 

 

3回くらい作ったところで、

「コンパクトな抱っこ紐なんて

すでに商品化されてる。

でも、それでも満足できないのは何でだろう?

そもそも、既存の抱っこ紐の

何が嫌なんだろう・・・?

 

・・・抱っこ紐として使っていないときに

かさばるのが嫌なんだ!

 

だったら、カバンの中に常に入っているものが

抱っこ紐を兼ねてくれたら

良いんじゃない?」

ということに

気がつきました。

 

 

カバンの中を見てみると、

お財布

ポーチ

携帯

エコバック!

 

 

もしかしたらエコバックが

抱っこ紐になるかもしれない。

そう気がついて

カバンの作り方の本を

図書館で何冊も借りてきて

抱っこ紐と仕組みが似ているものを

探し始めました。

 

 

・・・(12)につづく・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

gyuttone !が、できたわけ。(10)

・・・(9)からのつづき・・・

 

2015年の秋、

上野動物園に子供を連れて行った帰り道

gyuttone!を作ろうと思った

決定的なことが起きました。

 

 

初めての本格的な動物園に

大はしゃぎの息子は、

帰りの電車の中で爆睡。

 

 

最寄り駅までは車だったし、

上野まで乗り換えなしだし、

何より前回

(ディズニーランドでの出来事

gyuttone!が、できたわけ(5))で

懲りていたので、

その日は抱っこ紐を

持って行きませんでした。

 

 

駅から駐車場までの道。

大した距離ではありません。

でも・・・

 

 

ぐっしょり汗をかいて

スースー寝息を立てている子供は

とても重くて。

 

 

ずり落ちないように

そーっとそーっと歩いていたら、

腰に痛みが走りました。

夫が亡くなってから私は、

1年の間に2回も

ぎっくり腰になっていたのです。

 

 

そんな時、

1組の家族が目に飛び込んできました。

パパとママと、子供。

パパが子供を抱っこして、

ママはスカート履いて

小さいポシェットだけで

とても身軽そう。

歩きながら何か、

楽しそうに話しています。

 

 

私も、夫が生きていた時、

あんな風に話しながら歩いていたことあったな。

うちもあんな風に、

パパが子供抱っこしてくれてたな・・・。

でももう、ああいうことはできないんだ・・・。

 

 

一瞬のうちに

夫が生きていた時と

今との格差に打ちのめされ、

さらに

「これからは、

荷物も子供も、

全部一人で背負って

行かなくてはいけないんだ」という事実が

実感として迫ってきて、

幸せそうな夫婦と自分との

コントラストの強さに

追い討ちをかけられたような

気持ちになりました。

 

 

 

知らないうちに

涙が溢れてきました。

でも、

こんな道端で泣きたくない。

そう思って空を見上げた瞬間。

 

 

一人のシングルマザーの友人のことを

思い出しました。

 

 

ああ、私は、自分が彼女と同じ立場になるまで

何もわかってなかったな。

あの子は、一人で二人も子供を育ててる。

本当に大変だっただろうに、

そのことを何にも気に掛けていなかったんだ。

なんて無神経だったんだろう。

 

 

私は今、確かに辛いけど、

でも、こんなふうに思うのは

きっと私だけじゃない。

実際、友人だって、こういう風景見て

泣きたくなることだってあったのかもしれない。

 

 

人生の中で

大事なものを失ったことがある人はきっと、

日常生活の中で

静かに傷ついて

黙って耐えているんだろう。

 

 

死別でも離婚でも、

理由がなんであれ

「普通の家族」を維持できなかった人は、

「普通の家族」を見て

傷付きながら生きているんじゃないか。

 

 

だったら、

例えばワンオペ育児をしている人に

寄り添えるような

育児グッズを作りたい。

孤独で泣きたくなっても、

この商品があれば

「一人じゃない」って

思えるような商品が作りたい。

 

 

デパートの裏道で、

涙をこらえて一気にそこまで

考えたことが、

商品開発のスタート地点でした。

 

 

その日の夜、

エスキース帳を開いて

デザインを考え始めました。

 

 

・・・・(11)につづく・・・

 

gyuttone !が、できたわけ。(9)

・・・・(8)のつづき・・・

 

2015年 夏頃、

子供用のTシャツを作り始めました。

 

以前も書いたのですが、

その頃の私は、

どこか新しい組織に入って

新しい人間関係を築きながら

仕事を覚えられるような

精神状態ではなかったので

まずは自分一人で完結する仕事をしてみたら

リハビリになるのではないかと考えたからです。

 

 

自分が今持っているもので

すぐにお金になるものって何だろう

と考えた時、学生時代にバイトしていた

Tシャツに絵を描く仕事が思い浮かんだのです。

 

 

子供が寝た後、

材料やWebページなどを整えたり、

デザインを考えたりするのは

心が癒されました。

 

 

ものつくりって、癒されます。

一個一個工程が決まっていて、

それが完成していくので

一つ一つ心が整っていくような気がするのです。

 

 

もし今、辛くて前に進めない、という状況にいる人は

進まなくていいから、

好きなことに没頭できる時間を

持てればいいなと思います。

 

 

それはとても贅沢なのかもしれませんが、

子供が寝た後の30分でも

自分のことだけをする時間を持つことが、

こんなに気持ちを沈めてくれるのかと、

この頃実感したので。

 

 

毛糸をぐるぐる巻きにするだけで

作れるポンポンとか(目をつけるとぬいぐるみになります)

塗り絵とか

靴下でできるソックモンキーとか

お勧めです。(自閉的な作業ですが。)

全部100均に売ってます。

 

 

・・・・(10)につづく・・・・

 

 

gyuttone!が、できたわけ。(8)

・・・(7)のつづき・・・

 

私は36歳で夫と死別して、

37歳でお墓を買いました。

 

 

それまでの人生で一番高い買い物で、

ひどい話だな、と思いました。

 

 

ですが考えてみたらそれまでに一度も

自分名義で高い買い物をしてこなかったのは

守られていたからなのかもしれない、

とも思います。

 

 

一周忌の時に墓開きも

納骨も一緒にやりました。

 

 

親戚の中には、

「ずっとお骨を納めなくてもいいんだよ」

と励ますつもりで言ってくださる方もいましたが、

私はお墓にお骨を納めた時、

肩の荷が下りたような

ホッとした気持ちになりました。

 

 

そして、

いつか私が死んだらここに入るのなら、

人生のゴールが決まっているのなら、

天国で夫に再会した時

褒められるような生き方がしたいと

強く思いました。

「(子供を)よく育ててくれたね」と

言われたい。

 

 

そして、

人生が有限だと、

夫が身をもって教えてくれたのに

それを知る前と

同じ生き方をしてはいけないのではないか、と。

 

 

人生って、いつか終わることはみんな知ってます。

でも、それを意識しながら生きている人は

少ないのではないでしょうか。

毎日、死について考えていては

生きていけないですもんね。

 

 

私も以前は毎日夕方になると

「今日が無事に終わってよかった」と

胸を撫で下ろしていましたが

最近では「明日が来るのが当たり前」に

なっています。

 

 

死を意識しないで生活できるようになったことは

ある意味ではありがたいことです。

ですがやはり、この経験が

心に深く刻まれているのだろうと思います。

 

 

起業セミナーのパネリストなどをやらせていただいていると、

感想や質問用紙に

「(不安定な起業という道を選んで)

将来に不安はありませんか?」などの

質問を受けることがあります。

「不安がないと言ったら嘘だけど・・・。

でも、将来のことを心配できるというのは

ある意味では贅沢なことなのかもしれない。

将来がこない人だっているんだからな・・・。」と

思います。

 

 

諦めないで商品開発をしていけたのも、

「ひとつでもいいから自分のアイデアを、

世の中に残したい!」と

目の前のことだけに集中して

生きていたからなのかもしれない、と

最近では思います。

 

 

 

・・・・・(9)につづく・・・・・