gyuttone !が、できたわけ。(11)

・・・(10)からのつづき・・・

 

上野動物園から帰ってきた日の夜、

どんな抱っこ紐なら使いやすいのか

考えてみました。

 

●さっと出せて

●寝ている子供を起こさずに装着できて

●当然コンパクトで

●丈夫

 

 

条件を出せばキリがありません。

でも、自分が使いやすいものが欲しいのだし、

自分で作るんだから遠慮はいりません。

 

 

イラストに描いて

図面を起こし、

最初は紙で模型を作りました。

それから100均の材料で

実際に作ってみて

自分の子供で試してみる。

その繰り返しが始まりました。

 

 

3回くらい作ったところで、

「コンパクトな抱っこ紐なんて

すでに商品化されてる。

でも、それでも満足できないのは何でだろう?

そもそも、既存の抱っこ紐の

何が嫌なんだろう・・・?

 

・・・抱っこ紐として使っていないときに

かさばるのが嫌なんだ!

 

だったら、カバンの中に常に入っているものが

抱っこ紐を兼ねてくれたら

良いんじゃない?」

ということに

気がつきました。

 

 

カバンの中を見てみると、

お財布

ポーチ

携帯

エコバック!

 

 

もしかしたらエコバックが

抱っこ紐になるかもしれない。

そう気がついて

カバンの作り方の本を

図書館で何冊も借りてきて

抱っこ紐と仕組みが似ているものを

探し始めました。

 

 

・・・(12)につづく・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

gyuttone !が、できたわけ。(10)

・・・(9)からのつづき・・・

 

2015年の秋、

上野動物園に子供を連れて行った帰り道

gyuttone!を作ろうと思った

決定的なことが起きました。

 

 

初めての本格的な動物園に

大はしゃぎの息子は、

帰りの電車の中で爆睡。

 

 

最寄り駅までは車だったし、

上野まで乗り換えなしだし、

何より前回

(ディズニーランドでの出来事

gyuttone!が、できたわけ(5))で

懲りていたので、

その日は抱っこ紐を

持って行きませんでした。

 

 

駅から駐車場までの道。

大した距離ではありません。

でも・・・

 

 

ぐっしょり汗をかいて

スースー寝息を立てている子供は

とても重くて。

 

 

ずり落ちないように

そーっとそーっと歩いていたら、

腰に痛みが走りました。

夫が亡くなってから私は、

1年の間に2回も

ぎっくり腰になっていたのです。

 

 

そんな時、

1組の家族が目に飛び込んできました。

パパとママと、子供。

パパが子供を抱っこして、

ママはスカート履いて

小さいポシェットだけで

とても身軽そう。

歩きながら何か、

楽しそうに話しています。

 

 

私も、夫が生きていた時、

あんな風に話しながら歩いていたことあったな。

うちもあんな風に、

パパが子供抱っこしてくれてたな・・・。

でももう、ああいうことはできないんだ・・・。

 

 

一瞬のうちに

夫が生きていた時と

今との格差に打ちのめされ、

さらに

「これからは、

荷物も子供も、

全部一人で背負って

行かなくてはいけないんだ」という事実が

実感として迫ってきて、

幸せそうな夫婦と自分との

コントラストの強さに

追い討ちをかけられたような

気持ちになりました。

 

 

 

知らないうちに

涙が溢れてきました。

でも、

こんな道端で泣きたくない。

そう思って空を見上げた瞬間。

 

 

一人のシングルマザーの友人のことを

思い出しました。

 

 

ああ、私は、自分が彼女と同じ立場になるまで

何もわかってなかったな。

あの子は、一人で二人も子供を育ててる。

本当に大変だっただろうに、

そのことを何にも気に掛けていなかったんだ。

なんて無神経だったんだろう。

 

 

私は今、確かに辛いけど、

でも、こんなふうに思うのは

きっと私だけじゃない。

実際、友人だって、こういう風景見て

泣きたくなることだってあったのかもしれない。

 

 

人生の中で

大事なものを失ったことがある人はきっと、

日常生活の中で

静かに傷ついて

黙って耐えているんだろう。

 

 

死別でも離婚でも、

理由がなんであれ

「普通の家族」を維持できなかった人は、

「普通の家族」を見て

傷付きながら生きているんじゃないか。

 

 

だったら、

例えばワンオペ育児をしている人に

寄り添えるような

育児グッズを作りたい。

孤独で泣きたくなっても、

この商品があれば

「一人じゃない」って

思えるような商品が作りたい。

 

 

デパートの裏道で、

涙をこらえて一気にそこまで

考えたことが、

商品開発のスタート地点でした。

 

 

その日の夜、

エスキース帳を開いて

デザインを考え始めました。

 

 

・・・・(11)につづく・・・

 

gyuttone !が、できたわけ。(9)

・・・・(8)のつづき・・・

 

2015年 夏頃、

子供用のTシャツを作り始めました。

 

以前も書いたのですが、

その頃の私は、

どこか新しい組織に入って

新しい人間関係を築きながら

仕事を覚えられるような

精神状態ではなかったので

まずは自分一人で完結する仕事をしてみたら

リハビリになるのではないかと考えたからです。

 

 

自分が今持っているもので

すぐにお金になるものって何だろう

と考えた時、学生時代にバイトしていた

Tシャツに絵を描く仕事が思い浮かんだのです。

 

 

子供が寝た後、

材料やWebページなどを整えたり、

デザインを考えたりするのは

心が癒されました。

 

 

ものつくりって、癒されます。

一個一個工程が決まっていて、

それが完成していくので

一つ一つ心が整っていくような気がするのです。

 

 

もし今、辛くて前に進めない、という状況にいる人は

進まなくていいから、

好きなことに没頭できる時間を

持てればいいなと思います。

 

 

それはとても贅沢なのかもしれませんが、

子供が寝た後の30分でも

自分のことだけをする時間を持つことが、

こんなに気持ちを沈めてくれるのかと、

この頃実感したので。

 

 

毛糸をぐるぐる巻きにするだけで

作れるポンポンとか(目をつけるとぬいぐるみになります)

塗り絵とか

靴下でできるソックモンキーとか

お勧めです。(自閉的な作業ですが。)

全部100均に売ってます。

 

 

・・・・(10)につづく・・・・

 

 

gyuttone!が、できたわけ。(8)

・・・(7)のつづき・・・

 

私は36歳で夫と死別して、

37歳でお墓を買いました。

 

 

それまでの人生で一番高い買い物で、

ひどい話だな、と思いました。

 

 

ですが考えてみたらそれまでに一度も

自分名義で高い買い物をしてこなかったのは

守られていたからなのかもしれない、

とも思います。

 

 

一周忌の時に墓開きも

納骨も一緒にやりました。

 

 

親戚の中には、

「ずっとお骨を納めなくてもいいんだよ」

と励ますつもりで言ってくださる方もいましたが、

私はお墓にお骨を納めた時、

肩の荷が下りたような

ホッとした気持ちになりました。

 

 

そして、

いつか私が死んだらここに入るのなら、

人生のゴールが決まっているのなら、

天国で夫に再会した時

褒められるような生き方がしたいと

強く思いました。

「(子供を)よく育ててくれたね」と

言われたい。

 

 

そして、

人生が有限だと、

夫が身をもって教えてくれたのに

それを知る前と

同じ生き方をしてはいけないのではないか、と。

 

 

人生って、いつか終わることはみんな知ってます。

でも、それを意識しながら生きている人は

少ないのではないでしょうか。

毎日、死について考えていては

生きていけないですもんね。

 

 

私も以前は毎日夕方になると

「今日が無事に終わってよかった」と

胸を撫で下ろしていましたが

最近では「明日が来るのが当たり前」に

なっています。

 

 

死を意識しないで生活できるようになったことは

ある意味ではありがたいことです。

ですがやはり、この経験が

心に深く刻まれているのだろうと思います。

 

 

起業セミナーのパネリストなどをやらせていただいていると、

感想や質問用紙に

「(不安定な起業という道を選んで)

将来に不安はありませんか?」などの

質問を受けることがあります。

「不安がないと言ったら嘘だけど・・・。

でも、将来のことを心配できるというのは

ある意味では贅沢なことなのかもしれない。

将来がこない人だっているんだからな・・・。」と

思います。

 

 

諦めないで商品開発をしていけたのも、

「ひとつでもいいから自分のアイデアを、

世の中に残したい!」と

目の前のことだけに集中して

生きていたからなのかもしれない、と

最近では思います。

 

 

 

・・・・・(9)につづく・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

gyuttone!が、できたわけ。(7)

・・・・・(6)からのつづき・・・・・

 

世の中も不穏な空気が漂っている感じだし、

自分の心細い立場と重なって、

どうやって子供を育てていけばいいのか

どんな人間になれば

どう時代が変わっても生きていけるのか

悶々と考えていた時、

夫ならどうするか、が常に頭にありました。

 

 

例えば子供が大きくなった時、

「パパに聞いてみたい」と思うことって

なんだろう、と考えました。

 

 

それはきっと、

進路に関してなんじゃないだろうか。

思春期の男の子にとって

母親なんて鬱陶しいもの。

でも、将来に関しての不安を

誰かに聞いてもらいたい、

そう思った時

男親のいない家庭で

なんて言ってあげたらいいんだろう・・・。

 

 

息子の寝顔を見つめながら、

およそ10年後を想像し、

夫だったら

「好きなことを貫きなさい。

応援するから」と

言うだろうなと思いました。

 

 

その言葉を、

私が夫の代わりに

息子に伝えるとして、

果たして今の自分で

説得力があるだろうか。

 

 

そう思い至った時に

普通に就活しちゃダメだ!

私自身が本当に

自分の好きなことを貫いて

やりきったと思える経験をしていなくては

この言葉を息子に

伝えきることはできない、

と思いました。

 

 

昔、学生の時、何かの授業で

「男親の一番大事な仕事は、

子供に

”働くって楽しいんだよ”

と言うことを

教えることだ」

と習いました。

 

 

父親がいないなら代わりに

私がその役目を果たさなくてはと

思ったのです。

 

 

今は共働き家庭も多いし、

専業主婦だって仕事の一つなので

どちらがどのように伝えてもいいと思います。

記憶の中の言い回しなので

保守的すぎて不愉快に思う方がいたらすみません。

 

 

ですがとにかくその時私は、

その言葉を思い出して

「父親役も一人でやるんだから

自分がしっかりしなくては」と

奮起するターニングポイントに

なったのでした。

 

 

・・・・・(8)につづく・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

gyuttone!が、できたわけ。(6)

・・・・・(5)からのつづき・・・・・

 

 

精神的な回復を期待して、

この頃書道を再開しました。

子供の頃から習っていて、

社会人になってやめてしまったのですが

墨の匂いを嗅ぐと

今でもとても、落ち着くからです。

 

 

とはいえ、通えないのとお金もかけられないので

通信教育でした。

 

 

その、硬筆の課題で、

ある時こんな言葉に出会いました。

 

 

「人の一生は、

重荷を負うて遠き道をゆくがごとし。

急ぐべからず。」

徳川家康の名言でした。

 

 

早く結果を出すことが当たり前で、

時間をかけることが贅沢と思われている

今の時代とは、

この人、真逆なこと言ってる・・・。

というのが第一印象で、

重たい荷物を背負って

長い道のりを歩いていくのが

人生というものなら、

今自分が感じている苦しみも

当然のことなのかもしれないな、と

妙に納得しました。

 

 

私は歴史に関して(歴史に限らずですが)

ものすごく無知で、

徳川家康も社会科の資料集で見た

似顔絵(?)を思い出すくらいで

何をした人かあまり知りませんでした。

 

 

そこで純粋に興味が湧いて

山岡荘八著「徳川家康」

読み始めたのです。

なんと全26巻。

寝不足で、常に口の中は

口内炎だらけでした。

 

 

豊臣秀吉が、朝鮮出兵を断行していくくだりを

読んでいた時、

世の中は「安保法案」が強行採決されていて、

周りの人たちには危険な行く末が見えているのに

最高権力者に逆らえなくなる図式が似ていて

ものすごく怖かったのを覚えています。

 

 

・・・・・・(7)につづく・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

gyuttone!が、できたわけ。(5)

・・・・・(4)からのつづき・・・・・

 

2015年の7月、子供が2歳になりました。

なるべく楽しい思い出を作ってあげたくて、

お誕生日の当日は、ディズニーランドに

連れて行きました。

 

 

ディズニーランドはお誕生日に行くと、

”この子は今日がお誕生日ですよ”という印の

バースデーシールがもらえて、

それを洋服などに貼っておくと

スタッフの方々が「おめでとう!」と

言ってくれるのです。

 

 

2歳くらいだと、まだ乗り物は

ほとんど乗れませんが、

あの夢の世界の雰囲気だけで

大はしゃぎで、

お昼すぎにはうとうとし始めました。

 

 

この頃、外出時にいつも

困っていたことがありました。

出産当時に買ったH型の抱っこ紐が

使えなくなってきてたのです。

 

 

うちの子は3590gで生まれて、

大きかったというのもありますし、

暑がりでH型の抱っこ紐は

蒸れるのが嫌だったようです。

しかも活発で歩きたがりなので

ベビーカーもほぼ乗らず・・・。

 

 

仕方なく色々な形の抱っこ紐を試していて、

この日は義姉にもらった

メッシュ生地の簡易的な抱っこ紐を

持って行っていました。

私が持っていた抱っこ紐の中で、

一番コンパクトになるものだったからです。

 

 

でも、いざ使ってみたら

子供が「足がいたい!」と泣き出して

せっかく寝始めていたのに

すっかり目が覚めてしまい、

ものすごく不機嫌になってしまったのです。

 

 

暑い暑い夏の日、

汗だくの子供。

しかも超ご機嫌ななめ。

重たい荷物。

・・・凹みます。

 

 

子育てをしている人なら、

誰でも経験しているのではないかと

思います。

お出かけは楽しいけど、

荷物の多さも

寝ちゃった子供の重さも、

親には負担ですよね・・・。

 

 

この出来事が、

gyuttone!を作ろうと思った

最初のきっかけでした。

 

 

 

・・・・・・・(6)につづく・・・・・・

 

 

gyuttone!が、できたわけ。(4)

・・・・・(3)からのつづき・・・・・

 

この頃、少しずつ本も読み始めました。

もともと読書は好きだったのですが

気持ちに余裕がなくて

集中力を欠いていたので、

「本を読む」という

能動的な行為ができなかったのです。

 

 

「読書ができるようになった」というのも

精神が回復してきた兆しのように

自分では思っていました。

 

 

最初に手に取ったのは

江原啓之さんの本でした。

夫の残した本の中に

浮上するヒントがないかと

すがるような思いだったのを、

今、書きながら思い出しました。

 

 

「人間の絆〜ソウルメイトをさがして」という

本の中の一文に、

私はとても救われたので、

もし今、同じように苦しんでいる人がいたら

届けたいと思って抜粋します。

 

 

「大切な人を亡くしたとき、必ずといっていいくらい

胸に迫ってくるものとして、悲しみの他にもう一つ、

後悔の念があるのではないかと思います。

もっと優しくすればよかった、

もっと思いを伝えればよかった、

もっと何かしてあげられたのではないか、

もっと、もっと・・・・・と、

後悔の念は尽きません。

しかし、それがふつうだと思うのです。

〜〜中略〜〜

後悔が多く残るのは、事故による即死や突然死などで

大切な人を亡くした場合です。あまりにも急すぎて、

日頃の感謝も、けんかのお詫びも伝えられなかった。

「さよなら」の一言さえ言えなかった。

これはとてもつらいことだと思います。」

 

 

私はこの文を読んで初めて、

自分で自分を責めている事、

後悔していることを自覚しました。

 

 

あまりにも突然の出来事で、

とても現実のこととは思えず

葬儀の間も泣けなくて、

「このお葬式が終わったら

夫を探しに行こう」と思いながら

喪主を勤めていました。

 

 

一方で、夫に支配されない開放感のようなものも

感じていました。

 

 

夫は色々な面でこだわりのある人だったので

神経を張り詰めて夫の好みを探り当てるような、

緊張感のある結婚生活でしたから、

もう自分一人で決めていいのだということに

少なからず安堵感も感じていたのです。

 

 

喪失感や悲しみや恐怖、

夫に会いたくて会いたくて

息ができなくなりそうな苦しさとともに、

結婚生活で抱いていた不満や不安が渦巻いて、

心の中はこんがらがった糸の塊のようでした。

 

 

でも、江原さんの本を読んだことをきっかけに、

ああ、これでいいんだ、

自分の想いを、否定しなくていいんだ、

と思えるようになりました。

 

 

・・・・・・(5)につづく・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

gyuttone!が、できたわけ。(3)

・・・・・・・(2)からのつづき・・・

 

暖かい周りの方々のサポートのおかげで、

少しずつ動き始めてはいたものの、

このころの私は日常生活の全てが痛くて

たまりませんでした。

 

 

家族連れが目に入るたびに

目を逸らし、

園庭開放で他のお母さんがたに話しかけられても

一言二言返すのが精一杯。

 

 

そんな状態だったので

ハローワークに行ってみても

できる仕事があるとはとても思えず、

まず”新しい人間関係のなかに入っていく”ということが

高いハードルになっていました。

 

 

例えばスーパーのパートで働いたとしても、

休憩時間に先輩たちに

「大門さんの旦那さん、何してるの?」とか

聞かれたらどうしよう。

「子供さん、一人だけ?」とか

聞かれるのも嫌だ。

 

 

本当は二人目も欲しかったから、

このころの私は

妊婦さんを見るのさえ

吐き気がするほど嫌でした。

色々な意味で、

精神に支障をきたしていたんだと思います。

 

 

働かないといけない。

でも、今のままでは無理だ。

しかも、もはや37歳。

これから自分が、お給料ややりがいなどの面で

納得できるような会社に入れるとは

とても思えない。

 

 

それに、大きな会社に勤めていても

ある日突然倒産したり

リストラにあったりする時代。

「安定した職業」というものは

皆無と言っていい。

これからの時代はきっと、

もっと変化が早くて

自分が今持っている常識だけではきっと

太刀打ちできないだろう。

 

 

どういう考え方をすれば

自分の心の平穏を保てるのか

どんな人間になれば、

どんな時代でも生き残れるのか。

 

 

考えに考えた結果、

「人が欲しがる価値を提供できる人」に

なることが、

自分と息子を守る

最善の道だと考え至りました。

 

 

 

※前回まで「公開保育」と書いていたものは

「園庭開放」の間違いでした。

お詫びして訂正します。

 

・・・・・・・・(4)につづく・・・・・・・・

 

 

gyuttone !が、できたわけ。(2)

・・・・・・・(1)からのつづき・・・・・・・・・・

 

公開保育にいった先は、

私が卒園した保育園でした。

そこにはまだ、

私が子供の頃お世話になっていた先生が

何人かいらっしゃって驚きました。

先生方があまりお変わりなかったということと、

30年前は先生方も20代だったのだということに

初めて気付いて。

 

 

最初に感じたのは、

子供に裸足で遊ばせられる

安心感でした。

 

 

最近は公園の砂場でも

裸足にはなれません。

子供は裸足が好きです。

私もそうでした。

足に直接感じる

砂のひんやりした感触を

何十年ぶりかに子供と一緒に味わった時、

かすかに心がほどけていく気がしました。

 

 

公開保育は保育園に通っていない

近所の親子に保育園の園庭を開放するという

取り組みなので、

初日に面談のようなものがあります。

名前や家族構成、

育児で心配なことなどを書く紙を渡され、

私は初めて、

家族構成の「父」の欄を空欄のまま

先生に渡しました。

 

 

「心配なことは、父親がいないまま

成長していくことです」みたいなことを

話したんだと思います。

 

 

狭い地域なので、

先生方はうちの事情を知っている方もいて、

本当に優しく迎え入れてくださり、

求職中でも、保育園の入園希望は

出せることを教えてくださいました。

 

 

2回目に行った時、

もう一つ、転機になることが起きました。

園長先生の

「よくここまで来たね」という言葉で

感情の堤防が崩壊し、

号泣してしまったのです。

 

 

夫を亡くしてから、

他人の前でこんなに泣いたのは

初めてでした。

 

 

泣く時はいつも

子供が寝た後か

車の中か。

いずれにしても

心から泣けたのは

一人の時だけでしたから

初対面の人の前で

こんなにも泣けた自分に

ビックリしながら、

やっと泣けたな・・・と思ってもいました。

 

 

こういった優しい方々に背中を押されて、

まずはハローワークに行ってみようと

いうところまで、

行動できるようになっていきました。

 

 

・・・・・・・(3)につづく・・・・・・・・・・・