gyuttone!が、できたわけ。(7)

・・・・・(6)からのつづき・・・・・

 

世の中も不穏な空気が漂っている感じだし、

自分の心細い立場と重なって、

どうやって子供を育てていけばいいのか

どんな人間になれば

どう時代が変わっても生きていけるのか

悶々と考えていた時、

夫ならどうするか、が常に頭にありました。

 

 

例えば子供が大きくなった時、

「パパに聞いてみたい」と思うことって

なんだろう、と考えました。

 

 

それはきっと、

進路に関してなんじゃないだろうか。

思春期の男の子にとって

母親なんて鬱陶しいもの。

でも、将来に関しての不安を

誰かに聞いてもらいたい、

そう思った時

男親のいない家庭で

なんて言ってあげたらいいんだろう・・・。

 

 

息子の寝顔を見つめながら、

およそ10年後を想像し、

夫だったら

「好きなことを貫きなさい。

応援するから」と

言うだろうなと思いました。

 

 

その言葉を、

私が夫の代わりに

息子に伝えるとして、

果たして今の自分で

説得力があるだろうか。

 

 

そう思い至った時に

普通に就活しちゃダメだ!

私自身が本当に

自分の好きなことを貫いて

やりきったと思える経験をしていなくては

この言葉を息子に

伝えきることはできない、

と思いました。

 

 

昔、学生の時、何かの授業で

「男親の一番大事な仕事は、

子供に

”働くって楽しいんだよ”

と言うことを

教えることだ」

と習いました。

 

 

父親がいないなら代わりに

私がその役目を果たさなくてはと

思ったのです。

 

 

今は共働き家庭も多いし、

専業主婦だって仕事の一つなので

どちらがどのように伝えてもいいと思います。

記憶の中の言い回しなので

保守的すぎて不愉快に思う方がいたらすみません。

 

 

ですがとにかくその時私は、

その言葉を思い出して

「父親役も一人でやるんだから

自分がしっかりしなくては」と

奮起するターニングポイントに

なったのでした。

 

 

・・・・・(8)につづく・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

gyuttone!が、できたわけ。(6)

・・・・・(5)からのつづき・・・・・

 

 

精神的な回復を期待して、

この頃書道を再開しました。

子供の頃から習っていて、

社会人になってやめてしまったのですが

墨の匂いを嗅ぐと

今でもとても、落ち着くからです。

 

 

とはいえ、通えないのとお金もかけられないので

通信教育でした。

 

 

その、硬筆の課題で、

ある時こんな言葉に出会いました。

 

 

「人の一生は、

重荷を負うて遠き道をゆくがごとし。

急ぐべからず。」

徳川家康の名言でした。

 

 

早く結果を出すことが当たり前で、

時間をかけることが贅沢と思われている

今の時代とは、

この人、真逆なこと言ってる・・・。

というのが第一印象で、

重たい荷物を背負って

長い道のりを歩いていくのが

人生というものなら、

今自分が感じている苦しみも

当然のことなのかもしれないな、と

妙に納得しました。

 

 

私は歴史に関して(歴史に限らずですが)

ものすごく無知で、

徳川家康も社会科の資料集で見た

似顔絵(?)を思い出すくらいで

何をした人かあまり知りませんでした。

 

 

そこで純粋に興味が湧いて

山岡荘八著「徳川家康」

読み始めたのです。

なんと全26巻。

寝不足で、常に口の中は

口内炎だらけでした。

 

 

豊臣秀吉が、朝鮮出兵を断行していくくだりを

読んでいた時、

世の中は「安保法案」が強行採決されていて、

周りの人たちには危険な行く末が見えているのに

最高権力者に逆らえなくなる図式が似ていて

ものすごく怖かったのを覚えています。

 

 

・・・・・・(7)につづく・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

gyuttone!が、できたわけ。(5)

・・・・・(4)からのつづき・・・・・

 

2015年の7月、子供が2歳になりました。

なるべく楽しい思い出を作ってあげたくて、

お誕生日の当日は、ディズニーランドに

連れて行きました。

 

 

ディズニーランドはお誕生日に行くと、

”この子は今日がお誕生日ですよ”という印の

バースデーシールがもらえて、

それを洋服などに貼っておくと

スタッフの方々が「おめでとう!」と

言ってくれるのです。

 

 

2歳くらいだと、まだ乗り物は

ほとんど乗れませんが、

あの夢の世界の雰囲気だけで

大はしゃぎで、

お昼すぎにはうとうとし始めました。

 

 

この頃、外出時にいつも

困っていたことがありました。

出産当時に買ったH型の抱っこ紐が

使えなくなってきてたのです。

 

 

うちの子は3590gで生まれて、

大きかったというのもありますし、

暑がりでH型の抱っこ紐は

蒸れるのが嫌だったようです。

しかも活発で歩きたがりなので

ベビーカーもほぼ乗らず・・・。

 

 

仕方なく色々な形の抱っこ紐を試していて、

この日は義姉にもらった

メッシュ生地の簡易的な抱っこ紐を

持って行っていました。

私が持っていた抱っこ紐の中で、

一番コンパクトになるものだったからです。

 

 

でも、いざ使ってみたら

子供が「足がいたい!」と泣き出して

せっかく寝始めていたのに

すっかり目が覚めてしまい、

ものすごく不機嫌になってしまったのです。

 

 

暑い暑い夏の日、

汗だくの子供。

しかも超ご機嫌ななめ。

重たい荷物。

・・・凹みます。

 

 

子育てをしている人なら、

誰でも経験しているのではないかと

思います。

お出かけは楽しいけど、

荷物の多さも

寝ちゃった子供の重さも、

親には負担ですよね・・・。

 

 

この出来事が、

gyuttone!を作ろうと思った

最初のきっかけでした。

 

 

 

・・・・・・・(6)につづく・・・・・・

 

 

gyuttone!が、できたわけ。(4)

・・・・・(3)からのつづき・・・・・

 

この頃、少しずつ本も読み始めました。

もともと読書は好きだったのですが

気持ちに余裕がなくて

集中力を欠いていたので、

「本を読む」という

能動的な行為ができなかったのです。

 

 

「読書ができるようになった」というのも

精神が回復してきた兆しのように

自分では思っていました。

 

 

最初に手に取ったのは

江原啓之さんの本でした。

夫の残した本の中に

浮上するヒントがないかと

すがるような思いだったのを、

今、書きながら思い出しました。

 

 

「人間の絆〜ソウルメイトをさがして」という

本の中の一文に、

私はとても救われたので、

もし今、同じように苦しんでいる人がいたら

届けたいと思って抜粋します。

 

 

「大切な人を亡くしたとき、必ずといっていいくらい

胸に迫ってくるものとして、悲しみの他にもう一つ、

後悔の念があるのではないかと思います。

もっと優しくすればよかった、

もっと思いを伝えればよかった、

もっと何かしてあげられたのではないか、

もっと、もっと・・・・・と、

後悔の念は尽きません。

しかし、それがふつうだと思うのです。

〜〜中略〜〜

後悔が多く残るのは、事故による即死や突然死などで

大切な人を亡くした場合です。あまりにも急すぎて、

日頃の感謝も、けんかのお詫びも伝えられなかった。

「さよなら」の一言さえ言えなかった。

これはとてもつらいことだと思います。」

 

 

私はこの文を読んで初めて、

自分で自分を責めている事、

後悔していることを自覚しました。

 

 

あまりにも突然の出来事で、

とても現実のこととは思えず

葬儀の間も泣けなくて、

「このお葬式が終わったら

夫を探しに行こう」と思いながら

喪主を勤めていました。

 

 

一方で、夫に支配されない開放感のようなものも

感じていました。

 

 

夫は色々な面でこだわりのある人だったので

神経を張り詰めて夫の好みを探り当てるような、

緊張感のある結婚生活でしたから、

もう自分一人で決めていいのだということに

少なからず安堵感も感じていたのです。

 

 

喪失感や悲しみや恐怖、

夫に会いたくて会いたくて

息ができなくなりそうな苦しさとともに、

結婚生活で抱いていた不満や不安が渦巻いて、

心の中はこんがらがった糸の塊のようでした。

 

 

でも、江原さんの本を読んだことをきっかけに、

ああ、これでいいんだ、

自分の想いを、否定しなくていいんだ、

と思えるようになりました。

 

 

・・・・・・(5)につづく・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

gyuttone!が、できたわけ。(3)

・・・・・・・(2)からのつづき・・・

 

暖かい周りの方々のサポートのおかげで、

少しずつ動き始めてはいたものの、

このころの私は日常生活の全てが痛くて

たまりませんでした。

 

 

家族連れが目に入るたびに

目を逸らし、

園庭開放で他のお母さんがたに話しかけられても

一言二言返すのが精一杯。

 

 

そんな状態だったので

ハローワークに行ってみても

できる仕事があるとはとても思えず、

まず”新しい人間関係のなかに入っていく”ということが

高いハードルになっていました。

 

 

例えばスーパーのパートで働いたとしても、

休憩時間に先輩たちに

「大門さんの旦那さん、何してるの?」とか

聞かれたらどうしよう。

「子供さん、一人だけ?」とか

聞かれるのも嫌だ。

 

 

本当は二人目も欲しかったから、

このころの私は

妊婦さんを見るのさえ

吐き気がするほど嫌でした。

色々な意味で、

精神に支障をきたしていたんだと思います。

 

 

働かないといけない。

でも、今のままでは無理だ。

しかも、もはや37歳。

これから自分が、お給料ややりがいなどの面で

納得できるような会社に入れるとは

とても思えない。

 

 

それに、大きな会社に勤めていても

ある日突然倒産したり

リストラにあったりする時代。

「安定した職業」というものは

皆無と言っていい。

これからの時代はきっと、

もっと変化が早くて

自分が今持っている常識だけではきっと

太刀打ちできないだろう。

 

 

どういう考え方をすれば

自分の心の平穏を保てるのか

どんな人間になれば、

どんな時代でも生き残れるのか。

 

 

考えに考えた結果、

「人が欲しがる価値を提供できる人」に

なることが、

自分と息子を守る

最善の道だと考え至りました。

 

 

 

※前回まで「公開保育」と書いていたものは

「園庭開放」の間違いでした。

お詫びして訂正します。

 

・・・・・・・・(4)につづく・・・・・・・・

 

 

gyuttone !が、できたわけ。(2)

・・・・・・・(1)からのつづき・・・・・・・・・・

 

公開保育にいった先は、

私が卒園した保育園でした。

そこにはまだ、

私が子供の頃お世話になっていた先生が

何人かいらっしゃって驚きました。

先生方があまりお変わりなかったということと、

30年前は先生方も20代だったのだということに

初めて気付いて。

 

 

最初に感じたのは、

子供に裸足で遊ばせられる

安心感でした。

 

 

最近は公園の砂場でも

裸足にはなれません。

子供は裸足が好きです。

私もそうでした。

足に直接感じる

砂のひんやりした感触を

何十年ぶりかに子供と一緒に味わった時、

かすかに心がほどけていく気がしました。

 

 

公開保育は保育園に通っていない

近所の親子に保育園の園庭を開放するという

取り組みなので、

初日に面談のようなものがあります。

名前や家族構成、

育児で心配なことなどを書く紙を渡され、

私は初めて、

家族構成の「父」の欄を空欄のまま

先生に渡しました。

 

 

「心配なことは、父親がいないまま

成長していくことです」みたいなことを

話したんだと思います。

 

 

狭い地域なので、

先生方はうちの事情を知っている方もいて、

本当に優しく迎え入れてくださり、

求職中でも、保育園の入園希望は

出せることを教えてくださいました。

 

 

2回目に行った時、

もう一つ、転機になることが起きました。

園長先生の

「よくここまで来たね」という言葉で

感情の堤防が崩壊し、

号泣してしまったのです。

 

 

夫を亡くしてから、

他人の前でこんなに泣いたのは

初めてでした。

 

 

泣く時はいつも

子供が寝た後か

車の中か。

いずれにしても

心から泣けたのは

一人の時だけでしたから

初対面の人の前で

こんなにも泣けた自分に

ビックリしながら、

やっと泣けたな・・・と思ってもいました。

 

 

こういった優しい方々に背中を押されて、

まずはハローワークに行ってみようと

いうところまで、

行動できるようになっていきました。

 

 

・・・・・・・(3)につづく・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

gyuttone !が、できたわけ。(1)

gyuttone !は、実際の育児経験から

生まれた商品です。

よく、「どうして作ろうと思ったんですか?」と

取材でも聞かれるので、

いつもお話ししているように

書いていきます。

 

・・・・・・・・(1)・・・・・・・・・・・

 

 

2014年5月、夫が突然亡くなって、

私は一年くらいボーッと過ごしていました。

記憶が途切れ途切れで、

人と会うのもままならず

当然仕事もできないし

危なっかしいので実家の両親が

「帰っておいで」と言ってくれました。

ノイローゼのような

うつ病のような状態だったんだと思います。

 

 

ですが、一周忌の法事の時、

ハッとする出来事が起きました。

息子が霊園の噴水に落ちたんです。

 

 

噴水といっても、浅いものなのですが、

私がお会計をしているところに

甥っ子が

「そうちゃんが噴水に落ちた!」と

駆け込んで知らせに来てくれて、

私もびっくりして走っていきました。

 

 

そこには、全身びしょ濡れになって

キョトンとした顔の息子が立っていました。

おばあちゃんの話だと、

従兄弟たちと葉っぱを流す遊びをしていて

興奮してすごく早く走って、

ブレーキが効かなくて落ちてしまったんだ

と言うことでした。

 

 

私は、怪我がなくてよかったとホッとしたのと同時に

大人が追いつかないくらいの速さで

走れるようになっていた息子にビックリして、

目が覚めたような気持ちになりました。

 

 

私が知っている息子は、まだつかまり立ちをしていて、

3歩歩けた!とか、7歩歩いた!とか

そんなことを喜んでいた時期から、

スポッと成長の記憶が抜け落ちていたからです。

息子は、いつからこんなに走れるように

なっていたんだっけ?

 

 

夫の葬儀の時はまだ、

息子は10ヶ月だったので

そこからの一年の成長は、

とても大きいものでした。

 

 

私はこの出来事で、

「こんな風に私がふさぎ込んでいたら、

子供の成長を妨げてしまう」と思い、

法事の次の週には

近所の保育園の公開保育に

申し込みました。

 

 

精神的にはまだまだ

人に会えるような状態ではなかったのですが、

無理やり、本当に力づくで

社会復帰を目指し始めたのでした。

 

・・・・・・・・(2)につづく・・・・・・・・・・

 

 

メディアに出る手段と、錯覚

 

最近

「どうやってそんなに

メディアに出られるように

なったんですか?」と

よく聞かれます。

 

 

実際、新聞は

東京新聞、埼玉新聞、産経新聞、日経新聞

毎日新聞、朝日新聞、地方紙も3紙掲載され、

NHKは

「おはよう日本」まちかど情報室で

再々放送までされ、

首都圏ネットワークでは

一週間の密着取材後、

放送していただきました。

CHANTOと言う月刊誌でも

掲載していただいています。

とてもありがたいことです。

 

 

ですが取材自体は、

本当に精神力が必要で

手放しで有頂天になれるわけでは

ないのです。

 

 

なぜかと言うと、

夫の死から説明しないといけなくて、

毎回取材のたびに

辛い時期の追体験を

することになるからです。

 

 

私はたくさんの取材を受ける中で

錯覚していました。

「もうたくさん話したから、

gyuttone!ができた経緯は

発信済みのはず」

 

 

そんなわけ、ありません。

実際HPを見て、

代理店の販売をオファーしてくる方も、

営業をかけてくる方も

新聞の記事をくまなく読んで

アプローチしてくるわけではありません。

 

 

ましてやお客様は、

商品そのものにご興味があって

ご連絡してくださる。

それはそれで、とても嬉しいことです。

 

 

ですが、商品が生まれたバックグラウンドを

知っていただくことで

シングルマザーの子育てに

もっと関心を持つきっかけになれたら

もっと嬉しい。

 

 

だから、私はもっと

gyuttone!の生まれた経緯を

発信していかなくてはいけないんだなと

思いました。

 

 

実はこのことは、

クラウドファンディングをご支援くださった方に

ご指摘いただいていたのですが

自分の精神力が追いついていなかったのです。

ようやく、書けるまで回復してきました。

今後は、gyuttone!が生まれた経緯を

書き記していこうと思います。

 

 

冒頭の質問に対する答えは、

「プレスリリースを打ちました」

です。

メディアに出るためのプレスリリースは

元新聞記者で行政書士の

おがわ行政書士事務所

まで

ご相談ください。

新聞紙者の矜持から

きちんと説明してくださいます。

とてもお勧めです。